大宰府政庁跡(特別史跡 大宰府跡)

大宰府政庁跡(特別史跡 大宰府跡)は、福岡県太宰府市にある。
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた大宰府は、外交、貿易などの対外交渉の窓口であった。
その機構は、中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。
発掘調査によると、7世紀後半に堀立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備された。
この建物は、藤原純友の乱で焼き討ちにあったが、10世紀後半には立派に再建された。
現在残されている礎石は、この再建期のもので、大宰府展示館には、復元模型が展示されている。
大宰府跡は、大正10年に史跡に指定され、昭和28年には特別史跡に指定された。

当地には、遺跡の保存を願い、明治大正期に三基の顕彰碑が建てられている。
最初の顕彰碑は、明治4年(1871)に地元の庄屋 高原善七郎が建てた「都督府古趾碑(ととくふこしひ)」である。
碑名は、菅原道真が大宰府を中国風に「都府楼」と表したことに因んだものである。
明治13年(1880)に、「太宰府址碑」が近隣住民有志により建立された。
碑文は、県令(知事)渡辺清が作成したものである。
3番目の顕彰碑は、大正3年(1914)に建立された「太宰府碑」である。
碑文が作られたのは最も古く、福岡藩の儒学者 亀井南冥(なんめい)が江戸中期に考案した。

西鉄大宰府線五条駅下車、徒歩20分。



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