五条大橋は、京都市下京区河原町五条にある。
五条大橋は五条通(国道1号線)の鴨川に架かる橋で、牛若丸と弁慶が対峙したエピソードで知られており、橋の西詰には牛若丸と弁慶の石像が建立されている。
ただし、現在の五条通は、平安京の六条坊門小路にあたっており、これは安土桃山時代に方広寺大仏殿の造営に際し、平安京の五条通(現在の松原通)から大橋を現在地に建て替えたが、その後も橋の名前を「五条橋」としたことによる。
したがって、現在の松原橋が昔の五条橋にあたり、清水寺の参詣路であった。
牛若丸と弁慶の出会いの伝承は、謡曲「橋弁慶」、御伽草子「橋弁慶」、「義経記」などに見られ、対峙の場所や話の内容に違いがある。
謡曲、御伽草子では五条大橋が立ち合いの場所となっている。
「義経記」では、弁慶が刀を千組集めようとしていたところに牛若丸が現れる。五条天神で出合い、清水寺で斬り合う。
人形浄瑠璃 文楽の「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」五段目の「五条橋」では、牛若丸と武蔵坊弁慶との出会いが描かれている。
弁慶は、牛若丸に戦いを挑むが、散々にあしらわれ、ついに降参して主従関係を結ぶ場面で、次のように義太夫節が語られる。
「この弁慶に大汗かかす、汝は何者」
「ホホ我こそは、源牛若丸」
「したり、道理で大抵の人でないと思うた。今より後は御家来、コレ可愛がってくださんせ」
と頭を橋にぞ付けにける。
主従三世の縁の綱、約束長き五条の橋、橋弁慶と末の世に、語り伝えて絵にも描き、祇園祭の山鉾にも祝い、飾るぞ目出度けれ
(国立文楽劇場 第42回文楽鑑賞教室 五条橋 床本 参照)
→ 源義経 弁慶ゆかりの地
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期