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小山塚は、和歌山市太田にある。
当地の案内板には、次のように記されている。
小山塚
一五八四年三月、小牧長久手の戦いの際、家康に味方した紀州北西部の雑賀五組と根来寺からなる紀州連合軍約三万は、家康の指示で、秀吉方の泉州岸和田城を攻撃し、大阪城の後方を攪乱した。
しかし同年十一月、秀吉と家康の和議が成立すると、秀吉は約十万の兵を率い報復の紀州攻めを開始した。
先ず根来寺を火攻めにし、次に太田城を水攻めにした。
一五八五(天正十三)年四月二十二日太田城は落城した。この時、ともに籠城した士卒・村民の救済のため、侍大将・太田左近宗正と武将たちは自刃した。
自刃した武将たちの首級は、秀吉見分後、大坂阿倍野の天王寺にさらされたという。
首級はその後、「紀伊続風土記」では三ケ所に「根来焼討太田水責細記」では4カ所に、それぞれ十七首級ずつ葬られたという。(土俗十七塚)
田中敬忠編「太田城水攻史(昭和二年)」によると、明治維新頃の太田には、太田城攻防戦で討ち死にした城士たちを葬った塚が十カ所余り散在していたという。
その後の市街化進展で、現存するのは「小山塚」のみとなった。そして昭和六十年に始まった土地区画整理事業で、小山塚は元の所在地(旧太田五三八番)から現在のこの地に移設された。
太田城史跡顕彰保存会

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