美濃岩村藩主 松平家乗供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町石西にある。
松平(結城)秀康及び同母霊屋の後方(西側)に位置する。
五輪塔地輪には次のように刻されている。(水原堯榮氏「高野山金石図説」)
生國三刕今濃刕岩村城主
松平和泉守殿第七忌菩提
奉爲大聖院殿
(梵字) 前泉刕太守
乗譽道見禪定門
施主子息同和泉守殿立之
元和六年二月十九日 敬白
松平家乗(いえのり)(1575-1614)は、天正3年大給(おぎゅう)松平家5代 松平真乗(さねのり)の長男として三河国で生まれた。
天正18年(1590)徳川家康の関東入国の際、上野(こうずけ)那波(なわ)に1万石を与えられた。
慶長6年(1601)美濃に転封となり、美濃岩村藩(2万石)主 松平(大給)家初代となった。
慶長19年2月19日に40歳で死去した。墓所は岐阜県恵那市の乗政山墓地(大名墓地)にある。
当地の供養塔は、長男の松平和泉守(松平乗寿(のりなが))が建立した。→ 上野館林 松平(大給)家供養塔(松平乗寿)
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