道標・裏面秋双句碑は、和歌山県高野山奥の院にある。
一の橋西にある司馬遼太郎文学碑の横にあり、「秋双句碑(道しるべ句碑)」と書かれた資料もある。
奥の院参道分岐点に建てられた三角柱の石碑で、次のように刻されている。
左 さんけい道
右 かへ里路
(裏面) 風すずし ここ浄域の 第一歩 秋双
風涼し、涼風(すずかぜ)は、夏の暑いさなかに吹く、一陣の涼しい風のことで、夏の季語である。
大気がすっかり涼しくなった秋の季語ではない点が、興味深い。
(「日本の歳時記 夏」 参照)
芦田秋双(秋窓)(1878-1966)は、正岡子規門下の俳人で、新俳画新俳諧の提唱者である。
明治16年2月24日、大阪市に生まれた。本名 喜三郎。明治30年に子規門下に入り、秋窓と号した。
大阪朝報の俳壇選句担当、大阪毎朝社、不二新聞、関西日報社などの文芸美術記者、挿絵担当、俳壇選者を歴任。
昭和26年(1951)主宰誌「大地」創刊し、昭和31年(1955)に「秋窓句集」を刊行した。
昭和36年(1960)現代俳画協会設立。昭和41年3月18日死去。
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