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史跡 宮山古墳は、奈良県御所市大字室にある。
奈良盆地西南部最大級の前方後円墳で、室大墓(むろのおおはか)ともいわれる。
古くから後円部に室の鎮守八幡神社を祀るので、宮山古墳と称する。
築造は、古墳時代中期初頭で5世紀前葉(西暦420年頃)と考えられている。
大正10年(1921)に国の史跡に指定されている。
全長238m、後円部径105m、前方部幅110m、後円部高さ25m、前方部高さ22mで、墳丘は3段に築成されている。
前方部の北側に方形の張出部があり、南側にも同様のものがあったといわれている。
墳丘の周囲には周濠、その周囲には周堤が巡っている。
後円部北側には、陪冢と考えられているネコ塚古墳(方墳、一辺63m)がある。
後円部の最上段に、直径38m、高さ3mの円丘段があり、その上面には盾形、甲冑形、靫形、家形などの形象埴輪と円筒埴輪を立て並べた方形区画がつくられている。
後円部には、2基の竪穴石室が南北に並列して配置されており、南石室では竜山石製の長持形石棺が確認され、三角縁神獣鏡や玉類、石製品、三角板革綴短甲(さんかくばんかわとじたんこう)、鉄刀などが出土している。
「大王の柩」ともいわれる長持形石棺は、南石室の場合、蓋の全長3.77mという豪壮なもので、蓋石1、側板2,小口板2,底石1の6枚の石材で構成されている。
蓋石上面には8区画の亀甲形装飾、側面各辺には縄掛突起が2つずつある。側板小口にも1つずつの縄掛突起、小口板には2つの方形突起がある。
現地では、開口部から南石室の長持形石棺の一部を見ることができる。
被葬者については、明らかではない。
江戸時代には、考安天皇陵あるいは考昭天皇陵といわれたが、両者とも他所に治定され、以降、武内宿禰の名があげられたことがあるが、いずれも史実とは認めがたい。
近年は、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を被葬者とする説が有力である。

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