森白象句碑(普賢院)

森白象句碑(普賢院)は、和歌山県高野山にある。
石碑には、次のように刻されている。
(表面)
いく度(たび)も時雨し月の庭に立つ
        白象
(裏面)
普賢院山主大僧正寛紹和尚は
只管寺門の興隆に尽され また白象と号し
虚子門にして花鳥風月を友とし
俳句にしたしまれること多年
この度金剛峯寺第四百七十三世
検校法印昇進を記念しその徳を
たたえ有志これを立つ
 昭和四十七年二月廿二日

季語は、「時雨(しぐれ)」で、歳時記には次のように解説されている。
晴れたり、降ったり、断続して定めなく降る冬の雨をいう。冬の始めごろに多い。
秋も晩秋になると、夏の夕立のように強くなく、さっと降ってさっとあがる通り雨がある。
これが時雨の先ぶれであり秋時雨として区別している。
その冬はじめての時雨を初時雨(はつしぐれ)という。四季それぞれ違った降り方をする日本の雨のうちでも、時雨は特に詩歌になじみの深い雨である。

森白象(もりはくしょう)(寛紹)は、明治32年(1899)愛媛県に生まれ、明治43年に高野山普賢院に入寺している。
昭和47年(1972)高野山第473世寺務検校法印、昭和55年(1980)高野山真言宗管長・第406世金剛峯寺座主となった。
昭和2年(1927)に高浜虚子と出会い、ホトトギス同人となり生涯虚子を俳句の師とした。
普賢院芭蕉堂前には、森白象句碑(普賢院芭蕉堂前)があり、高野山奥の院英霊殿前には、森白象(寛紹)句碑がある。→ 高野山内の歌碑、句碑、詩碑



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