下野黒羽大関家供養塔

下野黒羽大関家供養塔は、和歌山県高野山奥の院20町石北西にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔11基と多数の墓標があるが、現状の配置は後世の改変によると考えられている。
上記報告書などによると、次の供養塔がある。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 下野黒羽藩 2代藩主
 大関 政増(まさます)
元和2年
(1616)
顧岑道鑑
大禅定門
 寛永11年
(1634)建立
 ② 下野黒羽藩 3代藩主
 大関 高増(たかます)
正保3年
(1646)
法光院殿
覺岑生鐵大居士
正保4年
(1647)建立 
 ③ 下野黒羽藩 4代藩主
 大関 増親(まさちか)
寛文2年
(1662)
正覺院殿
傳心宗單大居士
寛文3年
(1663)建立 
 ④ 下野黒羽藩 5代藩主
 大関 増栄(ますなお)
元禄元年
(1688)
本源院殿
心印元證大居士
 ⑤ 下野黒羽藩 6代藩主
 大関 増恒(ますつね)
宝暦9年
(1759)
慧日院殿
義天得翁大居士
 


東端の五輪塔は、下野黒羽(くろばね)藩 2代藩主大関政増(まさます)供養塔で、地輪正面には次のように刻されている。
下野国那須黒羽
 主太関土佐守
      顧岑道鑑
(梵字)爲
      大禅定門
于時寛永十一戊年
七月三十日建立之

大関家は、黒羽陣屋(現 栃木県大田原市)を藩庁とする2万石の外様大名である。
大関氏の出自は不詳であるが、家伝では武蔵七党の一つ 丹党(たんとう)の出とし、武蔵国児玉郡大関邑に居住して、大関氏を名乗ったという。
戦国時代までは那須氏に仕え、蘆野氏、伊王野氏、千本氏、福原氏、大田原氏らと那須七騎(那須衆)として活躍した。
豊臣秀吉の小田原攻めに参陣し、関ケ原の戦いで東軍で戦い、徳川家康から2万石を与えられた。明治時代まで黒羽藩主として統治した。



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