鈴木大拙、ビアトリス夫妻墓所

鈴木大拙、ビアトリス夫妻墓所は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院御廟橋の手前西側にある「文学博士 鈴木大拙先生 鈴木ビアトリス先生 ドクトルFMトラウツ先生 墓所入口」と記した案内石柱から、約50m登った所に、鈴木大拙、ビアトリス夫妻の五輪塔墓石が建立されている。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
(東面)
也風流庵大拙居士
梵字
青蓮院琵琶妙演大姉
(北面)
也昭和四十一年七月十二日
 於鎌倉松ヶ岡文庫帰真
 鈴木貞太郎
  享年九十五才
青昭和十四年七月十六日
 行年六十一才
 ビアトリス、アースキン、レーン、スズキ
(南面)
昭和十五年五月十六日
 鈴木大拙建之

鈴木大拙(1870-1966)は、金沢生まれの仏教哲学者で、D.T.Suzukiとして海外でも著名である。
東京帝国大学、学習院、大谷大学等で教鞭をとり、96歳で生涯を閉じるまで、150冊にも及ぶ和英の著作を執筆した。
41歳の時、アメリカ人のビアトリース・レーン(Beatrice Erskine-Lane)(1878-1939)と結婚した。
昭和14年7月16日、ビアトリス夫人が東京で死去した後、大拙は夫人の信仰を尊重して、東寺で百か日法要を営み、遺骨を三分して、夫人の願いに従って、高野山(親王院)、鎌倉の東慶寺、金沢野田山墓地に納めた。
昭和41年7月12日、鈴木大拙が東京で死去した後、鎌倉の東慶寺で葬儀が行われ、遺骨は夫人と同じく三分して納められた。
当地の鈴木夫妻墓所の前には、夫妻の養子(戸籍上は実子)である鈴木アラン勝が作詞した東京ブギウギ歌碑が建立されている。




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