柳原白蓮歌碑

柳原白蓮歌碑は、和歌山県高野山の大圓院にある。
瀧口入道旧蹟 鶯の井戸前に歌碑が建立されており、次のように刻されている。
鶯は大円院で今日も鳴く
 一切煩悩皆空なりと
         柳原白蓮

柳原白蓮(1885-1967)(やなぎはらびゃくれん)は、歌人として知られる。本名は宮崎あき子(燁子)である。
伯爵 柳原前光の次女として、東京で生まれた。叔母 愛子(なるこ)は、大正天皇の母である。
北小路資武と離婚後、明治43年(1910)東洋英和女学校を卒業した。
九州の炭鉱王 伊藤伝右衛門と再婚し、豪華な暮らしぶりで「筑紫(つくし)の女王」と呼ばれたが、やがて実家に戻った。
大正12年(1923)社会運動家 宮崎龍介と恋愛結婚し、無産者解放運動に挺身し、第二次世界大戦後は平和運動と宗教的世界に関心を示した。
短歌は、明治33年(1900)に佐々木信綱に師事し、「心の花」に作品を発表。数奇な運命に翻弄されつつ精神的な苦悶を激しい情熱で乗り越えようとした。
歌集に「踏絵」(1915)、「幻の華」(1919)、地平線(1956)などがある。

瀧口入道旧蹟 鶯の井戸

瀧口入道旧蹟 鶯の井戸は、和歌山県高野山大圓院にある。
平家の嫡男平重盛に仕えていた斎藤時頼という武者が、花見の宴席で建礼門院の雑仕女 横笛と恋に落ちる。
しかし、身分の違いから結ばれることはなかった。
時頼は、未練を断ち切るために出家し、瀧口入道を名乗り、女人禁制の高野山に移り住んで大圓院で修行を重ねた。
一方、横笛も出家し、奈良の法華寺で尼僧となっていたが、病となり高野山の麓の天野の里で亡くなった。
そのとき、横笛は鴬となって瀧口入道の居る大圓院に向かった。
瀧口入道が、梅の木に止まる鴬に気づいたところ、鴬は突然舞い上がり井戸に落ちたという。(「平家物語」巻第十)
大圓院の境内には、その井戸が残され、本尊の阿弥陀如来の胎内には、鴬の亡骸が納められているといわれる。→ 高野山女人伝承ゆかりの地
また高山樗牛は、明治27年に発表した小説「滝口入道」で、瀧口入道が高野山で平重盛の子維盛と再会する場面を描いている。
一方、五来重は、「増補 高野聖」で、宗教民俗学の立場から次のように記している。
  ただわれわれは高山樗牛のように、そのセンチメンタリズムに幻惑されて聖の現実の姿を見失ってはならない。
  滝口の侍 斎藤時頼も建礼門院の雑司女横笛も、もちろん実在ではない。
  しかし「平家物語」が本筋からそれて、こんなフィクションをエピソードとしていれるのは、
  この文学の成立にあずかった高野聖のすがたを発心物語として出したかったからであろう。
横笛について、実在資料は見出されていないが、斎藤時頼は、「尊卑分脈」時長孫(「国史大系」第2巻)に載せられており、実在したと考えられている。

南海高野線高野山駅からバスで小田原通下車すぐ。



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