東京ブギウギ歌碑は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院御廟橋の手前を西側に約50m登った所にあり、鈴木大拙夫妻墓石の後ろに建立されている。
歌碑には次のように刻されている。
(表面)
東京ブギウギ 作詞 鈴木勝
東京ブギウギ リズムウキウキ
心ズキズキ ワクワク
海を渡り響くは 東京ブギウギ
ブギの踊りは 世界の踊り
二人の夢の あのうた
口笛吹こう 恋とブギのメロディ
燃ゆる心のうた 甘い恋の歌声に
君と踊ろよ 今宵も月の下で
東京ブギウギ リズムウキウキ
心ズキズキ ワクワク
世紀のうた 心のうた
東京ブギウギ ヘイ!
(裏面)
Tokyo Boogie-woogie
by
Alan Victor Suzuki
(7.7 1916 - 6.27 1971)
Lovingly put in place
by
Maya Ike
東京ブギウギは、昭和23年(1948)に発表された歌謡曲で、歌手 笠置シヅ子の代表曲として知られている。
鈴木勝作詞、服部良一作曲。ブルース演奏の一スタイル「ブギウギ」を採り入れた最初のヒット曲である。
鈴木アラン勝(1916-1971)は、鈴木大拙の養子で、戸籍謄本には鈴木大拙と妻ビアトリスの実子として記載されている。
京都府立第三中学、高野山中学校から同志社大学に進んだ。
ジャパンタイムズ社を経て、同盟通信社に就職し、上海特派員を経験し、上海で作曲家の服部良一と出会った。
服部良一は、笠置シヅ子(1914-1985)の再起のために「東京ブギウギ」を作曲し、上海時代からの友人の鈴木アランを作詞者に抜擢したという。
鈴木勝は、1971年6月27日に亡くなり、葬儀は高野山の親王院で行われた。
(「東京ブギウギと鈴木大拙」 山田奨治氏著 参照)
当地の歌碑を建立した池麻耶は、鈴木勝と池真理子の娘である。
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