葛城の道めぐり




葛城の道

葛城の道は、奈良県にある。
奈良盆地の東側の「山辺の道」に対し、西側にある「葛城の道」は、金剛山、葛城山の麓を南北に走る古代の主要道路である。
この地一帯は、自然がはぐくむ豊かさによって早くから開け、5世紀にはヤマト政権内の有力な豪族であった葛城氏一族の根拠地として栄えたといわれる。
また神話のふるさとともいわれ、「古事記」や「日本書紀」に伝わる神々の地や高天原(たかまがはら)の伝承地などがあり、そこに登場する神々が祀られた神社などが現在も地元の信仰を集めている。
道標や案内板によって整備された散策路「葛城の道」(風の森峠~六地蔵)は、奈良盆地や大和三山を見下ろす雄大な展望、古い家並みの連なる集落など、豊かな自然と歴史が織りなす風景が楽しめる散策路である。


志那津彦神社 (風の森神社 / 風ノ森神社)

志那津彦神社(風の森神社/風ノ森神社)は、奈良県御所市にある。
当地の案内板には、次のように記されている。

   風の森神社
本社は、御所市大字鳴神、旧高野街道 風の森峠の頂上に位置しています。

御祭神には、志那津比古神をおまつりしています。志那津比古神は風の神であり、古事記、日本書紀には、風の神に因んだ事柄が記載されています。

風の神は、五穀のみのりを風水害から守る農業神としてまつられています。日本では、古くから風の神に対する信仰があり、毎年旧六月には、各地で薙鎌を立てて、豊作を祈る風祭が行われています。

 令和二年九月吉日
   御所市教育委員会
  寄贈 御所ライオンズクラブ

案内板横には、天誅組布陣百二十年記念の石碑が建立されている。





風の森道標

風の森道標は、奈良県御所市鳴神にある。
風の森は、旧高野街道沿いの神話にみちた小さな森である。
この一帯は、金剛山麓を南西から吹き抜ける風が強く、その平穏を祈るために、風の神を祭神とする志那津彦神社がまつられている。
吉田松陰の詩や天誅組の関係者が、峠で詠んだ歌で知られている。
「夕雲の所絶えをいづる月を見む 風の森こそちかづけにけり」
(「至風の森」石標の文を参照)





高鴨神社

高鴨神社は、奈良県御所市鴨神にある。
高鴨(たかかも/たかがも)神社は、「出雲国造賀詞(いずものくにのみやつこのかむほぎのことば)」に記載のある「葛城の鴨の神奈備(かんなび)」を起源とされる古社で、全国鴨(加茂)系の神社の元宮といわれる。
祭神は、阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこのねのみこと)(迦毛之大御神(かものおおみかみ))、事代主命(ことしろぬしのみこと)、
阿治須岐速雄命(あじすきはやのみこと)、下照姫命(したてるひめのみこと)、天稚彦命(あめわかひこのみこと)である。

正面の鳥居の先には石段があり、その上に三間社流造・檜皮葺の本殿がある。
左端の扉裏に天文13年(1545)の墨書がある室町時代の代表的な神社建築として、国の重要文化財に指定されている。
境内には、東神社本殿(県指定文化財)、西神社本殿のほか、16の小祠、拝殿、絵馬伝、楠木正成像などがある。
鳥居東側に鐘楼があり、梵鐘の銘文には神宮寺の由来などが記されており、神仏習合の名残が伺える。
鐘楼では、時を告げる鐘が撞かれてきており、現在でも夏季には、この鐘を合図に、田の水の受け渡しをする習慣が残っている。

当地はニホンサクラソウの名所としても知られる。
高鴨神社の二ホンサクラソウは、明治末期から父子4代にわたって蒐集されたものを、昭和35年(1964)に宮司が京都の自邸から持運んできたもので、約五百余種(二千数百鉢)が保存され、4月から5月にかけて社務所前で鑑賞できる。




伏見山 菩提院 菩提寺

伏見山 菩提院 菩提寺は、奈良県御所市にある。
菩提寺は、奈良時代の高僧 大僧正行基菩薩が留まり、仏法を弘めてこの地に建てられた道場「菩提院」の跡である。

「続日本紀」によると、宝亀4年(773)光仁天皇の勅により、仏法興隆のために、当郡の田三町を施入せられている。
白山の泰澄大法師、高野の弘法大師もこの寺で参籠修行をしたと伝えている。
平安時代には、子院三十余坊が並び建ち、往時は伏見寺千軒と呼ばれた。
十一面観音菩薩を本尊としており、秘仏毘沙門天、法起菩薩佛頭、金剛力士像(仁王像)などを有する。

当地の伏見の里では、仁王が井戸を怖がるので井戸を掘らず、火も怖がるので小正月のとんどを行わない。
そのため門松や注連縄も飾らない習慣が、現代も続いている。
当院南側の参拝者用駐車場からは、「御所市 山麓からの眺望」と記した案内板があり、御所市街地、若草山、高取山などの眺望が楽しめる。




高天彦神社

高天彦神社は、奈良県御所市にある。
金剛山東麓に鎮座し、「延喜式」神名帳葛上(かつじょう)郡の「高天彦神社 名神大、月次相嘗新嘗」に比定されている。
神社の背後には、美しい円錐状の御神体山(白雲峯(標高694m))がそびえており、社殿ができる以前はこの御神体山の聖林に、祭神を鎮め祀っていた。
祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ/たかみむすひのかみ)、市杵島姫(いちきしまひめ)命、菅原道真である。
高天彦神は、高皇産霊神の別称で、金剛山別当葛城家の祖神で、記紀神話の中で、出雲へ国譲りのための使者を遣わすなどとした神である。
鳥居手前には、樹齢数百年の杉並木があり、ウグイスが和歌を詠じたといわれることに由来する「鶯宿梅(おうしゅくばい)」がある。





高天寺 橋本院

高天寺 橋本院は、奈良県御所市にある高野山真言宗の寺院である。
奈良時代にあったとされる大寺院「高天寺(たかまでら)」の子院。
高天寺は、奈良時代に焼き払われたが、橋本院が唯一戦火から逃れたという。
本尊は、高天寺から持ち出されたといわれる十一面観音で、境内には「瞑想の庭」という美しい庭園がある。




佛頭山 吐田 極楽寺

佛頭山 吐田 極楽寺は、奈良県御所市にある浄土宗の寺院である。

天歴5年(951)村上天皇の御代に、南都興福寺の名僧 一和僧都によって開基され、佛頭山法眼院極楽寺という。
中世には、浄土宗第三祖 記主禅師の門弟 林阿上人が入り、領主 吐田五郎国資の帰依を受け、境内五町八反、七堂伽藍をもつ吐田氏の菩提所として、吐田(はんだ)の寺とも呼ばれた。

徳治元年(1306)北面の武士 十河図書行光が狩猟中、金剛山日の石で霊仏を授かり、出家剃髪奉祠し、夢のお告げを受けてこの霊仏を極楽寺に奉安した。
吐田の天得如来と親しまれ、現在も毎年4月15日には天得会式が盛大に営まれている。
南北朝時代には、楠木正成の祈願寺といわれ、河内吉野の連絡の要所となった。

慶長19年(1614)筒井順慶によって吐田氏が滅ぼされた折、兵火に罹り、本尊の仏頭をはじめ諸堂が灰燼に帰したが、幸い天得如来の絵像と鐘楼門が難を逃れ、後年随時再建された。





極楽寺ヒビキ遺跡

極楽寺ヒビキ遺跡は、奈良県御所市にある。
案内板には、次のように記されている。

極楽寺ヒビキ遺跡 令和7年 御所市・御所市教育委員会
 南郷遺跡内に位置する極楽寺ヒビキ遺跡では、古墳時代中期にあたる5世紀中ごろの濠に囲まれた大型掘立柱建物跡や、内部を見られないための目隠しとして用いたと考えられる塀、濠の内部に出入りするための陸橋状の渡り堤の跡が見つかっている。
渡り堤の周辺からは須恵器や土師器が出土しており、その中には意図的に投棄されたとみられるものも含まれている。
 極楽寺ヒビキ遺跡は、供膳具として利用されることの多い高坏が多く出土したことや、区画内の建物に建て替えがないこと、濠内からの出土遺物が少ないことなどから、日常生活の場ではなく、祭祀や政治を行った公的な場所だと考えられる。
 また、宮山古墳の後円部頂から出土した埴輪のなかには、この遺跡の建物構造に似た構造の家形埴輪が含まれており、豪族葛城氏との関連性が示唆される。

*二光寺廃寺(にこうじはいじ)
 御所市西北窪でみつかった寺院跡で、伽藍配置の全体は明らかになっていないが、金堂と思われる礎石建物とそれに伴う基壇が見つかった。
出土した瓦の特徴から、7世紀後半ごろの渡来系氏族による建立と考えられている。





中村家住宅

中村家住宅は、奈良県御所市名柄にある。
名柄村は宿場町として近世の民家が多く、なかでも慶長年間(1596~1615)に建築された中村家代官屋敷が最も古く、国の重要文化財に指定されている。
桁行22.1m、梁間11.2m、切妻造段違、本瓦葺、六間間取りの豪邸である。

この中村家は、代々近江国小室藩小堀氏の代官格であった。泉州新川和州中村江州小室氏覚に、小堀氏改易後、名柄村の代官となった羽倉権九郎は、その由緒をもって、郷士として年貢徴収を委ねることを幕府の勘定所に申し立てている。
同家には、元禄水論の判決文を載せた金剛山古絵図、金剛山土絵図などの近世史料を所蔵する。





郵便名柄館 テガミカフェ

郵便名柄館 テガミカフェは、奈良県御所市にある。

 郵便事業の記録によると、名柄郵便局は明治35年(1902)に郵便受取所として開設され、葛城地方の郵便事業の核となった。葛城地方には全国にも珍しい「郵便道」が残されている。
 郵便名柄館は、旧名柄郵便局舎で、明治時代末期に建設が開始された木造平屋建て、寄棟屋根の建物である。
大正2年(1913)の局舎完成時には、郵便、貯金、保険事業のほか電信、電話の取り扱いも行われていた。
 昭和38年には、同局での電話交換業務は廃止され、昭和50年(1975)には新郵便局舎の開設に伴って局舎の役目は終了した。
建物は、所有者の池口美代子氏から御所市に無償貸与されたものを、貴重な歴史的産業遺産として、平成25年度から久野の補助金と堺屋太一氏(本名 池口小太郎)からの寄付金等により改修工事が行われた。
 旧郵便局舎には、郵便ファンや歴史愛好家向けの展示スペースと共に、名柄の歴史、自然を感じながらゆっくりと時間を過ごせるカフェコーナーと郵便グッズ販売コーナーもある。
 130m南側には、来館者用の駐車場がある。




長柄神社

長柄神社は、奈良県御所市名柄にある。
 当地の長柄の地名は長江(ながえ)が長柄(なげ)になり音読して長柄(ながら)になった。
長江はゆるやかで長い葛城山の尾根(丘陵)を意味し、ナガラは急斜面の扇状地に残った古語であるともいわれる。
 この神社の祭神は、下照姫命(したてるひめのみこと)で、俗称「姫の宮」といわれ、一言主神社や高鴨神社の姫宮と考えられている。
 創建年代は不明であるが、日本書紀の天武天皇9年に、天皇がこの社で流鏑馬を見たとの記述があり、「延喜式」神名帳(じんみょうちょう)に載せられている。
 本殿は昭和33年(1958)3月20日、奈良県の重要文化財に指定された。
一間社春日造、檜皮葺、丹塗りの建物である。細部に禅宗様(唐様と称した手法)がみられる。
ひさしには、どこから見ても睨まれているように見える「八方睨みの龍」が描かれている。
 ここに棟札が残されており、最古のものは、正和元年(1312)鎌倉時代、花園天皇の代にあたり、以下17枚に及んでいる。
 手水屋は、朝原寺から移したといわれている。




一言主神社

一言主神社は、奈良県御所市森脇にある神社である。
延喜式神名帳に葛木坐一言主(かつらぎにいますひとことぬし)神社として記載された神社で、願い事を一言だけ聞いてくれる「一言(いちごん)さん」として親しまれている。法人名は葛城一言主神社である。
事代主(ことしろぬし)命、幼武(わかたける)尊(雄略天皇)を祀っている。

その昔、雄略天皇と葛城の一言主とが、葛城山中で出会った時、一言主は、
「吾は 悪事も一言 善事も一言 言離つ神 葛城の一言主の大神なり」
と名乗って天皇を畏れさせたと記紀に書かれている。
今昔物語集には、役行者が諸神を集めて金峯山・葛城山間に架橋工事をした際、この神は顔が醜かったので、夜間だけ工事に従事し、行者の怒りに触れて呪縛されたとも書かれている。
社殿のあるこの地は、古くから神の降臨をしめすカミタチという名で呼ばれていることが文書などに記されている。

本殿の前にあるイチョウの巨樹は、高さ約20mで、幹の途中から乳房のようなものが出ており、「乳イチョウ」「宿り木」と呼ばれている。
この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられている。

また境内には神武天皇が葛網で捕らえた土蜘蛛を埋めたという蜘蛛塚があり、その牙と称するものを社宝としている。
謡曲史跡保存会の「土蜘蛛」と蜘蛛塚の説明板がある。

近鉄御所線近鉄御所駅からバスで宮戸橋下車、徒歩30分。参拝者用の無料駐車場がある。





九品寺

戒那山九品寺は、奈良県御所市楢原にある浄土宗の寺院である。
聖武天皇が行基に開かせたとされる寺院で、空海の戒那千坊の一つと伝えられている。
永禄年間(1558-70)弘誓が浄土宗に改宗し、楢原氏の菩提寺となった。
本尊の阿弥陀如来坐像(像高123cm)は、藤原時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。
本堂西側には、千体石仏と呼ばれる石仏群がある。
南北朝時代、城主楢原氏が南朝に味方し、北朝と戦った時、家族や地元の人々が身代わりに奉納したと伝えられ、「身代わり石仏」「千躰地蔵」とも呼ばれている。
近鉄御所線近鉄御所駅からバスで猿目橋下車、徒歩15分。





駒形大重神社

駒形大重神社は、奈良県御所市にある。
当社は古くから「大重神社」と「駒形神社」という別々の神社として鎮座していたが、諸般の事情により明治41年(1908)に、大重神社を駒形神社へと合併奉祀したため、「駒形大重神社」と改称された。
同時期に、神社境内には、春日神社、市杵島比売神社、八幡神社、神明神社、琴平神社の五社が鎮座している。

駒形神社の祭神と由緒
祭神は、駒形神(こまがたのかみ)(木股(きまた)の神)で、木の神、水の神、安産の神といわれる。

創立年代は不詳であるが、昔から当地ではこの山林を駒形山といい、祭神を木股様として崇敬してきた。
木股(木俣)は、「このまた」とも読むことから「こまがた」と転化したものとも考えられている。
祭神の「木股の神」は、因幡の白兎伝説で知られる大国主命と八上比売(やがみひめ)の子神で、別名を「御井の神」とも呼ぶことから、木の神、水の神、安産の神として崇敬されている。

大重神社の祭神と由緒
祭神は、滋野貞主命(しげのさだぬしのみこと)で、家内安全、学業成就、良縁成就の神といわれる。
また、大倉下照姫命(おおくらしたてるひめのみこと)も祀られており、穀物の神として知られる。

大重神社は、延喜式式内社で、「大和名所図会」にも葛木大重神社として掲載されており、シゲノサンともよばれている。
「大和志料は、「新抄格勅符抄」に「葛木犬養神」とあることから、大重は犬養の誤写で、「日本書紀」皇極天皇三年一月条にみえる葛城雅犬養連網田(645年の乙巳の変で、中大兄皇子から蘇我入鹿の暗殺を命じられた人物)らの祖神を祀った神社であろうともいわれる。
一方、穀物の神である「大倉下照姫命」を祀る「大倉神社」が「大重」と変化したという説や、大重は八重、火雷の誤写との説(神名帳考証)もある。

「滋野貞主(785-852)」は、平安時代初期に活躍した漢詩人である。
奈良時代の有名な儒学者で、当地楢原出身の楢原東人(ならはらのあずまひと)の曽孫にあたり、滋野という姓は祭神の父 家訳(いえおさ)が桓武天皇から賜ったことに由来する。
貞主公は、仁明天皇の皇太子時代「学士」として家庭教師に選ばれるなど特に学問に秀でており、「経国集(漢詩文集)」二十巻を編纂し、日本最古の百科事典といわれる一千巻の書物「秘府略」を撰集したことでも知られる。




六地蔵石仏

六地蔵石仏は、奈良県御所市大字櫛羅にある。
地名の櫛羅は、室町期には俱尸羅郷と呼ばれ、クジ・クジラは、砂丘・小丘などの地形とも崩地(急斜面)を意味する地形語であるともいわれる。

当地では古代から中世にかけて、兄川の出水等により、度々災害が発生した。
伝承によると、六地蔵が彫られた石も、室町時代に土石流が発生して現在の場所に流れ着いたといわれ、村人は、六道をもって衆生を救うという仏法の精神に照らし極楽浄土を願って彫った、と考えられている。
六体の像は、向かって右から天上道(日光菩薩)、人間道(除蓋障菩薩)、修羅道(持地菩薩)、畜生道(宝印菩薩)、餓鬼道(宝珠菩薩)、地獄道(壇蛇菩薩)といわれる。(御所市観光ホームページ)

世界大百科事典によると、六地蔵は、六道のそれぞれにあって衆生を救済するという6体の地蔵菩薩である。六地蔵の信仰は、中国などには先例がなく、、依拠すべき経典儀軌がないため、各像の形像や名称は一定しなかった。
日本大百科全書では、一般に、天上を化す預天賀(よてんが)、人間道を化す放光(ほうこう)、修羅道を化す金剛幢(とう)、畜生道を化す金剛悲(ひ)、餓鬼道を化す金剛宝、地獄道を化す金剛願(がん)菩薩の総称とされている。






鴨都波神社

鴨都波神社は、奈良県御所市宮前町にある。

「かもつわじんじゃ」として、資料等に載せられるが、地元では「かもつば」と通称することから、国史大事典では、「かもつばじんじゃ」として掲載されている。
延喜式内社で、祭神は積羽八重事代主命(都味波八重事代主命)(つみはやえことしろぬしのみこと)、下照姫命(したてるひめのみこと)で、賀茂氏の古い氏神の社とされている。
本社は、上賀茂社と呼ばれる高鴨神社に対して、下賀茂社、下津賀茂(しもつかも)神社とも呼ばれている。

夏祭りと秋祭り宵宮に、五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈願して「ススキ提灯献灯行事」が行われており、平成12年に奈良県無形民俗文化財に指定された。

神社を中心とする一帯は「鴨都波遺跡」という弥生中期の遺跡で、土器や農具、住居跡が多数出土しており、古代には鴨族がこの地に住みついて農耕生活を営んでいた。





葛城

かつらぎ

現在、カツラギ・カツラキと発音する。葛城(古事記、日本書紀)、葛木(延喜式、続日本紀、威奈大村墓誌など)と書き、「古事記」仁徳天皇段に「加豆良紀」、「日本書紀」仁徳紀に「箇豆羅紀」の仮名で記され、カヅラキ(古今点訓抄、無名抄)と読む。また「万葉集」巻一一では「葛山」と書いてカヅラキヤマと読ませている。初見は推古天皇四年の「伊予道後温湯碑文」(釈日本紀)ということになるが、いずれにしても和銅六年(七一三)地名改定(佳字・二字)以前に発生した嘉名二字化地名と考えられる。地名の由来について「日本書紀」神武即位前紀に、

高尾張邑たかをはりむら(或本に云はく、葛城邑といふ)に、赤銅の八十梟帥有り。此の類皆天皇と距き戦はむとす。
高尾張邑に、土蜘蛛有り。其の為人、身短くして手足長し。侏儒と相類たり。皇軍、葛の網を結きて、掩襲ひ殺しつ。因りて改めて其の邑を号けて葛城かづらきと曰ふ。

とあり、葛城はごく素朴な古代地名であったが、こうした説話の発生することは葛城の国が政治的にも重視された証拠であろう。

地名に植物・天皇(豪族)を付会するという共通性がみられ、「城」は美称的意味をもつ唐風の用字である。また葛蔓は「万葉集」巻三に「延ふ葛のいや遠く、よろづ世に絶えじと思ひて」とあるように長久の意味をもっていた。金剛葛城山はカズラの産地で、「大和志」にも金剛山中の「防己藤」を土産として明記する。フジ、カズラはともに蔓性の植物で、今も葛根の採集地として知られている。大字楢原ならばら・伏見ふしみ・朝妻あさづまには小字「葛城」が残っている。

明治の市制町村制施行時に、金剛山東面山麓一帯の地域に葛城の村名を復活、隣村の巨勢こせ郷では「城」を省略して葛くず村とした。また、現北葛城郡新庄町内にある大字葛木かつらぎは、旧正道寺しようどうじ村・桑海くわうみ村が合併した新地名である。

なお、謡曲「葛城」には「あら面白やさてはこの、標しもとといふ木は葛城山に、由緒ある木にて候よなう。申すにや及ぶ古き歌の言葉ぞかし。標を結ひたる葛なるを、この葛城山の名に寄せたり。これ大和舞の歌といへり」とあり、葛の蔓を結って神籬を立てるという山岳信仰から起こったと解釈している。

元禄一一年(一六九八)一言主ひとことぬし神社に「葛城三十八景」の詩額が奉納された(現亡失)。撰定者は名柄ながら村出身で郡山藩侍講の高橋遠治、儒者藤井瀬斎が詩を題し、能書家北向雲竹が清書、全文は「葛城名区考」に収められている。



賀茂

かも

鴨とも書く。南は高鴨たかかも神社のある大字鴨神かもがみから、北は鴨都波かもつわ神社のある旧御所町に及び、金剛葛城山麓一帯の呼称であったらしい。大字櫛羅くじらの高鴨山には鴨山口かもやまぐち神社が鎮座、御所町に鴨口かもぐち町の町名、賀茂前かもまえの小字があり、大字三室みむろに「加茂の西」、大字増ましに「鴨浦かもうら」、鴨神に「カモゾヘ」の小字が遺存する。

「釈日本紀」が引く「山城国風土記」には、神倭石余比古の御前に立った賀茂建角身命は、「大倭の葛木山の峯に宿りまし、彼より漸に遷りて、山代やましろの国の岡田の賀茂に至りたまひ、山代河の随に下りまして、葛野かどの河と賀茂河との会ふ所に至」った、ゆえにその地を「名づけて賀茂と曰ふ」と記している。金剛葛城山の東麓は鴨氏族の一中心地で鴨山口神社・高鴨阿治須岐託彦根命たかかもあじすきたかひこねのみこと神社・鴨都波八重事代主命かもつわやえことしろぬしのみこと神社など出雲系有力神を祀った神社が多い。「詞林采葉抄」には「賀茂山、神山同山名也」とある。カモはカミ(神)と同義の語か。

応永二五年(一四一八)の吐田庄注進文(春日神社文書)に、「葛上郡三十三条五里三十三坪二反 西ムロ下津賀茂ノ社北浦坪」「三十三条八里三十坪七反之内二反 上津賀茂ノ東ハシ」とあり、下津賀茂しもつかもは鴨都波神社付近、上津賀茂は現鴨山口神社鎮座地の西方約二〇〇メートルの地以西をさしていることが知られる。「和名抄」の「上鳥」「下鳥」は「上鳧かみつかも」「下鳧しもつかも」で、それぞれ上津賀茂・下津賀茂の地にあたる。なお高鴨と上津賀茂・下津賀茂の中間に「中津賀茂」(現御歳神社)があったといわれる。




興福寺
興福寺中金堂
興福寺菩提院大御堂(十三鐘)
伝説三作石子詰之旧跡
猿沢池
采女神社
衣掛柳の石碑
春日大社
春日若宮おん祭
春日大社神苑 萬葉植物園
御間道 御間型燈籠
豊臣秀長病気平癒祈願燈籠
奈良公園
若草山
若草山焼き
奈良国立博物館
氷室神社
東大寺
東大寺南大門
東大寺ミュージアム
東大寺二月堂
二月堂良弁杉
東大寺 三月堂 法華堂
東大寺 開山堂(良弁堂)
東大寺 戒壇院(戒壇堂 千手堂)
正倉院
般若寺
頭塔
志賀直哉旧居
首切地蔵
奈良市写真美術館
新薬師寺
南都鏡神社
比売神社
白毫寺
覚禅房胤栄の墓
元興寺
誕生寺
徳融寺
安養寺
高林寺
大安寺
帯解寺
正暦寺
法華寺
海龍王寺
秋篠寺
八所御霊神社
唐招提寺
菅原天満宮
喜光寺
垂仁天皇陵(宝来山古墳)
薬師寺
大和文華館
中野美術館
法隆寺
法隆寺西院伽藍
法隆寺東院伽藍
法隆寺正岡子規句碑
中宮寺
法輪寺
法起寺
藤ノ木古墳
斑鳩文化財センター
矢田寺
奈良県立民俗博物館
奈良県立大和民俗公園
吉田寺(きちでんじ)
龍田神社
三室山
信貴山 朝護孫子寺
郡山城跡
大納言塚(豊臣秀長墓所)
春岳院
本家菊屋 本店
箱本館 「紺屋」
五輪塔覆堂(筒井順慶の墓)
源九郎稲荷神社
慈光院
髙林庵
小泉城跡
龍王山古墳群
石上神宮
史跡杣之内古墳群 西山古墳
釜ノ口山 長岳寺
史跡 櫛山古墳
崇神天皇陵(行燈山古墳)
史跡 黒塚古墳
箸墓古墳
苧環塚(おだまきづか)
當麻寺
當麻寺護念院
中将姫の墓塔
傘堂
鳥谷口古墳
石光寺
飯豊天皇埴口丘陵
角刺神社 鏡池
吉祥草寺
鴨都波神社
史跡 宮山古墳
御所市 文化財展示室
六地蔵石仏
駒形大重神社
九品寺
一言主神社
葛城山麓公園
大和葛城山
佛頭山 吐田 極楽寺
極楽寺ヒビキ遺跡
高天寺 橋本院
高天彦神社
鶯宿梅

伏見山 菩提院 菩提寺
葛木御歳神社
高鴨神社
医王山 船宿寺
志那津彦神社(風の森神社/風ノ森神社)
風の森道標
葛城の道
善福寺 「冥途の飛脚」 忠兵衛 供養碑
冥途の飛脚 梅川 忠兵衛 記念碑
安楽寺(忠兵衛の阿弥陀石仏碑)
おふさ観音
(高野山真言宗別格本山 観音寺)

今井町
今井山 称念寺
久米寺
橿原神宮
東大谷日女命神社
畝火山口神社
大和三山 畝傍山
大和三山 耳成山
大和三山 香久山(香具山)
神武天皇陵
本薬師寺跡
天香山神社
天岩戸神社
國常立神社
月の誕生石
八釣山 地藏尊 興福寺
畝尾坐健土安神社
畝尾都多本神社
奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室
耳成山口神社
特別史跡 藤原宮跡
史跡 大官大寺跡
紀寺跡
八木札の辻交流館 東の平田家(旅籠)
新沢千塚古墳群
宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)
史跡 益田池堤
益田岩船
沼山古墳
岡寺
国史跡 丸山古墳
国史跡 植山古墳
石舞台古墳
島庄遺跡
南都明日香ふれあいセンター
犬養万葉記念館

都塚古墳
特別史跡 山田寺跡
飛鳥資料館
飛鳥水落遺跡
石神遺跡
甘樫坐神社
豊浦宮跡、豊浦寺跡
向原寺
難波池
甘樫丘
甘樫丘中腹 志貴皇子 万葉歌碑
奈良県立万葉文化館
酒船石
酒船石遺跡(亀形石造物)
飛鳥寺
蘇我入鹿首塚
史跡 飛鳥宮跡
明日香村岡 
飛鳥宮跡 (伝飛鳥板蓋宮跡) 万葉歌碑

史跡・名勝 飛鳥京跡苑池
亀石
橘寺
国史跡 川原寺跡
弘福寺
国史跡 菖蒲池古墳
天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)
鬼の雪隠 鬼の俎
カナヅカ古墳(欽明天皇檜隈坂合陵 培冢)
欽明天皇陵(梅山古墳)
吉備姫王墓 猿石
史跡 中尾山古墳
特別史跡 高松塚古墳
高松塚壁画館
文武天皇陵
朝風峠
稲渕棚田
稲渕の男綱、栢森の女綱
飛鳥川の飛び石
天徳山 龍福寺
南淵請安先生の墓
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
奥明日香 栢森 万葉歌碑
古道小峠
古道芋峠
牽牛子塚古墳
真弓鑵子塚古墳
史跡 岩屋山古墳
史跡 マルコ山古墳
於美阿志神社 桧隈寺跡
特別史跡 キトラ古墳
子嶋山子嶋寺
無量山 光永寺 人頭石
土佐街道 土佐町 町家のひな巡り
くすり資料館
臼井家(伊勢屋)屋敷跡
高取城松の門(移築)
お里・沢市の墓
植村家長屋門
俳人 阿波野青畝生家
眞各山 宗泉寺
高取城跡
五百羅漢
壷阪寺
天誅組 鳥ケ峰古戦場
岡宮天皇(草壁皇子)真弓丘陵
束明神古墳
光雲寺
車木ケンノウ古墳(斉明天皇陵 越智崗上陵)
市尾墓山古墳
市尾宮塚古墳
金屋の石仏
檜原神社
大神神社
狭井神社
久延彦神社
大直禰子神社
桜井市立埋蔵文化財センター
仏教伝来の地碑
安倍文珠院
晴明堂
ウオーナー博士報恩供養塔
史跡 安倍寺跡
舒明天皇陵 段ノ塚古墳
舒明天皇押坂内陵

神籠石(じんごいし)
聖林寺
崇峻天皇倉梯柴垣宮伝承地
崇峻天皇陵
赤坂天王山古墳
又兵衛桜(本郷の瀧桜)
談山神社
淡海公十三重塔(淡海公墓所)
長谷寺
法起院
青蓮寺
大野寺 史跡大野寺石仏
室生寺
室生山上公園芸術の森
五條文化博物館
大澤寺
五條市立民俗資料館(旧五條代官所長屋門)
赤根屋半七宅跡
犬飼山転法輪寺
櫻井寺
五條代官所跡
榮山寺
藤原武智麻呂墓
念仏寺 陀々堂の鬼はしり
中将姫旧跡 餓え坂(かつえざか)
中将姫縁之家 勘定仕宅跡
御霊神社
賀名生皇居跡
賀名生の里 歴史民俗資料館
賀名生梅林
天誅組天辻本陣跡
野川弁財天(厳島神社)
高野豆腐伝承館
天狗木峠
陣ケ峰
立里荒神社
平維盛歴史の里
鶴姫公園、鶴姫の墓
世尊寺(史跡比曽寺跡)
つるべすし 弥助
いがみの権太の墓
柳の渡し
吉野山
吉野神宮
村上義光公の墓
金峯山寺
吉水神社
東南院
如意輪寺
後醍醐天皇塔尾陵
勝手神社
大日寺
喜蔵院
櫻本坊
竹林院 群芳園
吉野水分神社
金峯神社
義経隠れ塔
宝塔院跡(安禅寺蔵王堂跡)
西行庵
苔清水
大師山寺
八水山 澤井寺
旧跡 桜の渡し 石碑
妹背山(妹山 背山)
伊勢湾台風痕跡水位の碑
大名持神社
吉野歴史資料館
宮滝遺跡
柿本人麻呂 吉野宮滝 萬葉歌碑
中岩の松
夢のわだ
うたたね橋跡
櫻木神社
本善寺
広橋梅林
丹生川上神社下社
橋本若狭旌忠碑
大峯山龍泉寺
面不動鍾乳洞
天河大弁辨財天社
南朝黒木御所跡(御所の坊跡)
栃尾観音堂
鷹ノ巣岩(鷲の岩、蛙岩)
大峰山寺
谷瀬の吊り橋
丹生川上神社上社
明神池 池神社
天誅組終焉之地碑
吉村寅太郎原えいの碑

ニホンオオカミの像
宝泉寺
天誅義士記念碑

天誅義士明治谷墓地
丹生川上神社中社
神武天皇聖蹟丹生川上顕彰碑
天誅義士湯ノ谷墓地
楠正勝の墓所
佐久間信盛の墓所
玉置神社
瀞峡


TOP PAGE  観光カレンダー
TOP PAGE  观光最佳时期(旅游日历)